赤津(福島県郡山市)を訪ねて
 
 
 

 私自身は、九州生まれですが、三代前までは、赤津家は、福島県郡山市の湖南赤津に住んでいました。

 
    「赤津」という名字は、この地名に由来します。「赤津」は、600年以上続いている日本でも比較的古い名字なので、

 

    できるだけ、ここ赤津を訪ねて、もっと赤津や祖先のことを調べてみたいと思うようになりました。

 

 
 

ここでは、順次、その結果をご紹介します。

 

福島の地方紙に紹介された「赤津」  article about akatsu

 

 

「赤津弾正」(もと、伊東弾正)という人が、どうも赤津の姓を名乗ったはじめの人のようです。

歴史書や風土記にも出てくる名前なので、以前から気になっていた人です。

私から数えて、かれこれ20代くらい(いや、もっと?)前の人です。

 

そういえば、私の祖母の知人で、今では千円札になった野口英世という

人がいます。

この医学博士を援助した、赤津誠内という人も、遠縁かもしれません。

東京の野口英世記念館でこの名前を発見したときは、何とも言えない親しみを

感じました。

 

福島や茨城には、この「赤津」という姓が多いようです。

赤津誠内も海外で活躍した「赤津」ですが、先日、ブラジルの

サンパウロからいきなり、ブラジル人の「akatsu」という人からメールが来ました。

自分の祖先のことをもっと知りたいという内容でした。

5代ほど前の私の祖先の名と一致していました。

この人も海外に行った「赤津」の末裔のようです。

私の遠縁にあたることが分かりました。

 

600年以上前からの家系図  akatsu-family tree

 

 

赤津家に残る古文書  old documents in akatsu

 

 

赤津の家紋  akatsu crest

 

私が初めて湖南赤津を訪ねたのは、7年近くのアメリカ生活を終えた翌年の秋でした。

長いこと海外で生活していますと、こうした日本的な場所がやたらと恋しくなります。

 

映画の「フーテンの寅さん」を観るようになったのも、海外生活のせいです。

こうした経験がなければ、こうした「赤津」レポートも書けなかったかもしれません。

 

赤津に伝わる鎧   armor

 

かなり古いものでした。この鎧が唯一残っているもののようです。

聞くところによりますと、戦後、赤津の村祭りのたびに、地元の方々に

貸した骨董が、戻ってこないようです。

 

この刀の中身は、第二次世界大戦時、国に寄贈したようです。

たぶん、赤津家の刀は、日本を守る戦車や鉄砲の原料になったのでしょう。

 

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このサイトを開いてからだいぶ経って、湖南町の伝承を紹介するサイトを

見つけましたので、ご紹介しましょう。

この地図は、下記の「ぐるっと湖南伝承会」さんのサイトから掲載させていただきました。

赤津が、以前より身近になりました。感謝です。



http://www.guruttokonan.jp/

(ぐるっと湖南伝承会)

風の高原では、今も、風力発電しています。 

https://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail1-0-12.html


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